来日20年ジャーナリスト兼多角経営者はネパールの若者の憧れ

ティラク・マッラ/ネパール語新聞『ネパリ・サマチャー』編集長

日時:2019.9.19

「ネパリ・サマチャー」を発行する㈱GMTインターナショナルは日本に長年居住するネパール人が中心になって運営する多角経営企業。情報発信の他、学校経営(エベレスト・インターナショナルスクール)、レストラン、貿易、旅行等にも関わっている。

1999年発刊の「ネパリ・サマチャー」は日本で唯一のネパール語新聞で、06年よりオンライン発信も始めている。
~以下、インタビュー~

現在ネパールでは、特に若者のあいだで海外に出て留学する、働くというのが一つのトレンドとなっています。最も多い渡航先はインド。インドとのあいだではパスポートがいならないので、自分の国と同じように行き来ができるからです。しかし、インドでは高収入は期待できないので、金銭目当ての者には人気がありません。次がサウジアラビア、マレーシア、アメリカ、イギリス、、ドイツ……。日本は9番目くらいだが、最近人気が上がっているようです。

在日ネパール人は約9万人いて、そのうち3分の1が東京にいます。在日ネパール人協会他、さまざまなコミュニティを形成しており、特に出身地域ごとのコミュニティが多いです。学生が最も多く、日本語学校、専門学校、大学の順となっています。学校を卒業して商売を始めるパターンも多いです。
目下、ネパールの全人口のうち、80万人が外国に暮らしています。国内にはチャンスがなく、海外にはチャンスがある――皆そう思っています。だからネパール国内でも人手不足減少が起きて、貧しいインド人がどんどん入っている状態になっています。ネパールの若者は自分の国では肉体労働やらずに、インド人にやらせています。
私はネパールで学校の先生でした。97年に観光ビザで来日し、友人グループで浅草にネパール料理の店を開きました。当時、日本にはネパール人が殆どいませんでした。そのレストランの横で仲間たちと新聞を発行し始めたのが1999年なので、もう20年になります。日本で唯一のネパール語新聞ですから、最近はおかげさまで広告が入り切らない状態です。私は年に2,3回ほど帰国するが、「日本での成功者」ということで結構有名になっているみたいで、若者の集まりに呼ばれま
・アジアン・ダイニング・バー「ポカラ」。そのレストランの横で仲間たちと新聞を発行し始めたのが、99年。もう20年やっている。日本で唯一のネパール語新聞。だから最近はおかげさまで広告が入り切らない状態。派遣業、行政書士、両工業、食材会社……。
http://samudrapari.com/category/enewspaper/

2010年頃からネパール人が急速に増えて来たので、学校を作ることにしました。これがエベレスト・インターナショナル・スクールです。現在80人くらいの生徒がいて、殆どがネパール人の生徒だが、ナイジェリア、バングラディッシュ等、十数人の外国人生徒もいます。ナイジェリア、バングラ、日本人生徒も中にはいます。ネパール語、英語、日本語で教育をしていて、今年から高校生の生徒も出てきました。2000年代に、江戸川区を中心に多くのインド人が増え、インド人師弟の学校が出来ましたが、それを真似してネパール人学校を作りました。一応大使館の後援は得てはいますが、、資金援助はまったくありません。教師は向こうの学校からプロを呼びました。現在、先生はネパール人、日本人、アメリカ人、バングラ人など、全部で30人くらいいます。日本の小学校のグランドを借りて、運動会をやったりもしました。

新聞はカトマンズにも事務所があり、取材スタッフは日本に5人、ネパールに6人、他に香港、コン国、オーストラリア、アメリカ、イギリス、ベルギー在住のネパール人ジャーナリストと提携しています。

ここは在日ネパール人の情報発信基地であると同時に、よろず相談引受所のような場所でもあります。来日したばかりで日本語の出来ないネパール人は皆ここに来ます。彼らの悩み事は、日本語問題、病院、仕事、ビザ・パスポートの問題が多いです。

在日ネパール人の多くは日本で成功して永住したいという希望を持っています。カネを稼いで国に帰りたいという人はそれほど多くありません。

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